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2003年6月4日衆議院内閣委員での発言要旨
参考人 米津知子(SOSIREN女(わたし)のからだから)

I.「少子化社会対策基本法案」の廃止を求めるその理由

I−(1) この法案は人権を尊重する国際的な流れに逆行し、女性の基本的人権を侵害するおそれがある

 5月28日の内閣委員会で、この法案を提出された議員の方々は「人口政策として子供を産めと強制する内容ではない」「子供を産み、育てていくことに社会的な障害があってはならない、その女性が立派な人生を送れるように子育てを支援する考えでやっている」「中絶は本人の自己決定。本法は、本人の自己決定を妨げない」といった発言をされました。しかしこれらは、前文の「少子化に歯止めをかける・・・」など法案の文言とはひどくかけ離れて聞こえます。また新聞報道によれば、4月に開かれた自民党少子化問題調査会では、97年の人口問題審議会の「結婚するしない、産む産まないは個人が決めるべき問題」とする提言が非常に問題にされたということです。本法案の提出議員の方々が「そうではない」と言われても、産むか産まないかの選択を女性の自己決定権として保障する文言がどこにもない以上、この法律は「女性に産ませるための人口政策」ではないかとの不安をもたずにいられません。

 人口政策のもとでは、個人よりも公の利益が優先され、その結果人権侵害が起こります。そこには、単に人間の数の調節だけではなく、産むべき人・産むべきでない人・生まれてよい子・よくない子の選別という優生政策がついてまわり、誰もがその対象となり得ます。人口政策による人権侵害は、現在でもなお人口抑制を国家政策とする途上国の中にみられることがありますが、日本も例外ではなく、我が国が人口増加あるいは抑制するためにとってきた政策は、次にのべるように、国民、とくに女性の妊娠・出産機能の管理と支配そのものでした。

 まず明治時代には刑法堕胎罪が制定され、戦前は「産めよ殖やせよ」政策のもとで避妊も非合法とされました。刑法堕胎罪は現在もそのまま存在しています。日本初の女性国会議員となった加藤シヅエさんは、戦前、産児調節運動のリーダーだったために弾圧・投獄されました。加藤さんは一昨年104歳で亡くなられるまで、「少子化社会対策基本法案」の行方を大変懸念していらしたそうです。「女は国のために子どもを産むのではない」というのが、加藤さんの信念でした。  戦後の1948年につくられ1996年まで存在した優生保護法は、母性保護という名目をもちながら、人口抑制を急ぐ国策の一環でもありました。優生保護法は中絶を合法化したと同時に、「不良な子孫の出生防止」、すなわち病気や障害をもつ人に子どもを産ませない目的でも機能しました。ハンセン病訴訟でその一部が明らかにされたように、この法が定めた優生手術(不妊手術)によって、多くの人々が子どもをもつことを奪われたのです。これを、限られた人が受けた異例の差別と見るべきではありません。
 96年には優生保護法が一部改訂され、優生条項が削除されて母体保護法となりましたが、国はいまのべたような優生保護法のもとでの人権侵害について、反省の表明、被害者への謝罪・補償をまったく行っておりません。「少子化社会対策基本法案」にも、このような、公のために個人の人権を省みないという考えが通底しているのではないかという危惧を、拭うことができません。

 国際社会は、長い時間をかけて性や生殖、人口と人権の問題を考えてきました。国連の女性差別撤廃条約(1979年)は、子の数と出産の間隔を決定する権利を女性にも認めました。また、1994年にカイロで開かれた国連の国際人口開発会議の行動計画では、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)の重要性が提唱されました。同時に男女の平等、女性のエンパワーメント(あらゆる面で力をつけること)も強調されました。リプロダクティブ・ヘルス/ライツの基本にあるのは、「人口問題」の解決には、国家による頭ごなしの人口政策ではなく、妊娠・出産の調節について個々のカップルと個人とくに女性の自由意思による選択を尊重することが重要であるという認識です。カイロ会議以降、女性の基本的人権、とくに性と生殖における健康と権利の尊重が重要であるということは、国際社会の共通認識になっています。日本政府は、法的拘束力をもつ女性差別撤廃条約を1985年に批准し、カイロ行動計画にも同意しています。国会でも1995年、1996年の優生保護法改訂、2000年の母体保護法一部改訂の際に、附帯決議でリプロダクティブ・ヘルス/ライツの推進をうたっています。
 「少子化社会対策基本法案」は「少子化の進展に歯止めをかけること」に熱心なあまり、こうした流れに逆行するおそれがあります。女性に対して「産むべき」という圧力を高め、産まないまたは産めない女性を差別するような風潮は、絶対につくりだしてはなりません。

I−(2) 不妊治療を「少子化対策」に位置づけるべきでない

 この法案は全体が具体性に欠け、とくに国の責務が明確でない中で、第十三条の2項に、国及び地方公共団体が不妊治療について情報提供、相談、研究に対する助成等必要な施策を講ずると書かれており、ここだけが飛び抜けて具体的です。
 まず、不妊の問題を「少子化対策」という枠組みの中で扱うことは、不妊の人々が「少子化」の原因の一端であるかのような間違った印象を与えます。このことが、不妊に悩む人たちを傷つけ、治療へと駆り立てるのではないかと心配です。不妊当事者の自助グループ「フィンレージの会 有志」の意見書にも「なぜ、この項目が少子化社会対策基本法に含まれるのでしょうか。私たちは危惧でいっぱいです。」「子どもを持てない人、持たない人にまで無理に子どもを持たせようとするような法律はおかしい」とあります。
 厚生科学特別研究報告(*1)、フィンレージの会による調査結果(*2)で分かるように、不妊治療を経験した人の3割程度しか子どもを得られていません。法案は、不妊治療が実際以上に有効であるとの誤解を増幅します。
 私は、フィンレージの会会員でもある友人から次のメッセージを託されました。
『不妊治療には身体的なリスクがあります。成功率も決して高いとはいえません。排卵誘発剤の副作用でつらい思いをし、それでもなお「治療をやめることを周囲が許してくれない」という理由で治療を続けている方もいます。そうした中、この法案は、「治療をしてでも子どもをつくったほうがよい」という圧力を強めるのではと考えます。不妊の人への支援は、治療だけではありません。治療を受けない選択、治療をやめる選択、子どものいない人生への支援など幅の広いものであり、子どものいない人がそのままで受け入れられる社会づくりが不可欠です。「治療」のみを突出して法律で扱うことに、私たちは大きな不安を感じます。』
 不妊の人への支援は確かに必要です。しかしそれ自体を検討する場を別に設けるべきです。不妊治療を「少子化対策」の手段とすることは断じて受け入れられません。不妊の問題のこのような扱いからも、法案が「女性に産ませるための法律」であるとの強い印象を受けます。
(*1)厚生科学特別研究「生殖補助医療技術に対する医師及び国民の意識に関する研究」研究報告書(1999年)
(*2)会員および元会員を対象にしたアンケート(1999年)
I−(3) この法案は、「人口問題」に関する国際的視点を持っていない

 世界的規模で考えるならば、「人口増加をいかに抑制するか」が「人口問題」の課題です。人口の減少はむしろ、食糧、貧困、開発、環境、資源、エネルギー等の問題を解消する上で不可欠な要因と考えられています。しかし法案には、日本という限られた地域のみを見る視点しかありません。わが国の「人口」のありようも、地球規模の問題に照らして考えるべきでしょう。また人口の少ない社会のマイナス面ばかりを強調することなく、それを事実として受け止め、いかにプラス面を引き出すかの発想の転換が必要です。

II.国は何をすべきか

II−(1) 法案の真意が提出議員の発言通りなら、法案に書くべきこと

 もし、提出議員の意図が冒頭で触れた発言通り「産ませる人口政策」にはしないのなら、提出議員発言の主旨を条文に明記するべきです。少なくとも次のことは必須です。
  • 生殖における個人およびカップルの自己決定を妨げないこと
  • リプロダクティブ・ヘルス/ライツを尊重すること
  • 育児の責任は女性と男性両方が担うべきものであり、社会がそれを支援すべきこと
  • 国と企業は、男性が育児の責任を果たせるように、女性が職業をもちながら妊娠・出産・育児が できるように、必要な制度整備の責任を負うこと
II−(2) リプロダクティブ・ヘルス/ライツの確立

 リプロダクティブ・ヘルス/ライツの確立を求めることが、「産まない選択だけを求めるもの」と解釈され非難される場合がありますが、それは誤解です。女性に対し「子どもを産め」という圧力が強い社会では、産まないことで不利益を受けない対策が不可欠ですが、女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツは、いつ何人子どもを産むか産まないかの選択ができ、産む人にも産まない人にも支援があることで保障されます。障害をもつ人の妊娠・出産・育児、障害をもつ子の出生にも、また、シングルの女性の出産、シングルの親の子育ても、そうでない場合と比べて不利益がないように支援されることも当然です。
 言うまでもないことですが、女は子どもを産むときだけ大切にされるべきではなく、女性の性と生殖の健康は生涯を通して保障されるべきです。この"生涯を通して"という考えも、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの基本にあります。その考えに沿って、厚生労働省母子保健課はすでに、生涯を通じた女性の健康支援事業を推進しておりますが、この機会にその一層の充実を望みたいと思います。たとえば、日本には欧米諸国にみられるような、性や避妊、性感染症、その他産むか産まないかに関わる問題の相談を気軽にかつ安価にできる施設がほとんどありません。家族計画センターや若者のためのクリニックなどを、全国各地に設ける必要があると思います。このような相談施設と、包括的な情報・教育があって初めて、人は責任をもって産むか産まないかの自己決定ができるのです。

II−(3) 子どもをもとうとする人の負担の軽減

 内閣府が行った「社会意識に関する世論調査」(平成14年)で「理想の子どもの数」を聞いたところ、「2人」と答えた人の割合が38.5%,「3人」と答えた人の割合が45.2%。「2人」と答えた人の割合は、男性の20歳代,30歳代と女性の20歳代で高くなっています。子どもを欲しいと思う人はいるのに、希望の数だけ産むことができないというのが日本の現実です。

 現代の日本社会には、出産・子育てを重荷と感じさせる要素がたくさんあります。とくに女性にとって、その負担は増しつつあります。子育てにともなう経済的・身体的負担、職業との両立の困難は勿論ですが、それだけではありません。依然として婚姻外の子どもに対する差別があります。そして、子どものしつけや教育、健康に関して、親、とくに母親の責任が強調されます。また、次々に開発される出生前診断の技術が、「病気や障害をもたない健康な子ども」への志向を強めているように思えます。子どもをもつことには責任が伴うものだとしても、「健康な子を産んで"いい子"に育てなければ、母親の資格はない」といわんばかりの圧迫感・プレッシャーが、子どもを産むことにブレーキをかけ、子育てに夢をもてなくさせている要因としてあると思われます。

 国が行うべきは、子どもをもたないあるいはもてない人にまで無理にもたせようとするのではなく、子どもをもちたい人の負担・不安を取り除くことです。それには、さまざまな差別をなくし、女性の人権を高める施策を行うことが必要です。また、職業と子育ての両立の困難、ひとり親家庭の困難、婚姻外の子どもへの差別、障害者への差別などを取り除いてくことも必要です。それが実現されれば、産みたい人が産める社会になるでしょう。女性の人権、とくに仕事と子育ての両立支援や男女の平等が進んでいる国でむしろ、人口の問題は望ましい方向に向かう傾向があることも、大いに参考にすべきではないでしょうか。

 産みたい人が産める環境をつくるには、国は、産もうとする人、生まれてくる子どもに条件をつけたり、育て方、家族のありように画一的な価値観を押しつけるのではなく、多様な生き方を認め、すべての生まれた子どもと子育てする親たちを全力で支える姿勢を示すべきであり、男女の固定的な役割分担を見直すことが必要です。

 最後に、「少子化社会」への対策によって、女性に対し「子どもを産め」という圧力が高まり、産まない選択をする女性への非難が強まること、また産めない女性への抑圧が増大することがあってはならないことを、再度強く訴えます。
以上