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堕胎罪とは


■「家」「国」のために子どもを産むのがあたりまえ!?

 安全で、合法的に中絶を受けることができるかどうかは、女の人生を左右します。
 法律で中絶が禁じられているために、女性がヤミ中絶でからだを傷つけてしまったり、自分で中絶しようとして針金ハンガーを膣に挿入したり高いところから飛びおりたり、あるいは自殺に追い込まれた例は、過去も現在も、世界各地で見られます。
 日本では1869年に明治政府が堕胎禁止令を出してから、1880年に旧刑法、1907年に現刑法に「堕胎罪」が規定されました。
 キリスト教と家父長制の価値観から堕胎を禁止する欧米列強をまねて、近代社会の体裁をととのえ、富国強兵政策をすすめたい明治国家にとって、堕胎罪は必要だったのです。女は、家父長である夫のため、家制度存続のため、そして国のために、子どもを産むのが当然とされていきました。

■侵略戦争への突入とともに中絶の取締りも強化

 こうした状況において、1915年には雑誌『青踏』に、原田(安田)皐月が「獄中の女より男に」という文章で、堕胎を罰することは不条理だと訴えました。堕胎が禁止されていた時代なので、『青踏』は発禁処分になります。原田の文章に対して、伊藤野枝は、ともかく堕胎は不自然、という反論の文章を書き、その後、平塚らいてうや山田わかなどによって「堕胎論争」がおきました。
 中絶の前の段階で、そもそも妊娠を避けるための産児調節(バース・コントロール)をしようという運動も始まりました。1922年、アメリカのマーガレット・サンガーを日本に呼び、産児調節運動は活発になります。1932年には「堕胎法改正期成連盟」もできました。
 しかし、<産めよ殖やせよ>をスローガンに、日本は侵略戦争へと突き進む時代に突入し、中絶への取り締まりも強化されます。見せしめのように、女優の志賀暁子が堕胎罪で逮捕され、投獄される事件もありました。加藤シヅエなどの産児調節運動家にも弾圧が加えられ、助産婦や医師たちも投獄されたのです。

■優生保護法の中に盛り込まれた中絶の合法化

 1945年、第二次世界大戦が終わり、女性参政権の獲得、女性を無能力者としていた民法の改正、妻のみを罰する姦通罪の廃止など、日本国憲法にうたわれた男女平等理念のもと、女性の権利に関する法制度の改革がなされました。しかし、刑法の堕胎罪は、そのまま残りました。
 ところが、日本は敗戦後の食糧不足から人口を減らす必要に迫られていました。”「質」の悪い人間が増えると困る”という逆淘汰論=優生思想から、中絶を認めるべきだという意見も出てきました。
 そこで、堕胎罪はそのままにして、例外として、中絶の許可条件を定めるという形で、1948年、優生保護法が制定されました。戦前の産児調節運動家のなかにも、優生思想は色濃く存在していたこともあって、中絶の合法化を求める動きは、残念ながら堕胎罪廃止の要求にはならず、優生保護法のなかでの「母性保護」という形でしか実現しませんでした。
 その後、日本では、優生保護法、1996年からは母体保護法に定める条件にあてはまる場合に限っては堕胎罪が適用されず、中絶が許可されています。しかし、2001年時点で、刑法の堕胎罪は存続しています。1995年に現代語に変わっただけで、100年近くにわたって、内容も条文もまったく変わっていないのです。

■なぜ女性が処罰を受けなければいけないのか?

 堕胎罪の問題点は、第一に、中絶した本人(女性)が罰せられるということです。自分の健康を回復するための医療行為ともいえる中絶を受けたことで、なぜ女性が処罰を受けなければいけないのでしょうか。中絶をしたことで、心や体が傷ついているだろう女性に、さらに追い討ちをかけるように、法律で処罰する必要があるのでしょうか。
 第二は、妊娠のもう一方の責任者である男性は、まったく処罰されないという点です。では、男性も処罰すればいいのか、という疑問もありますが、こうした点もふくめて、堕胎罪について、もっと議論する必要があります。
 本人が中絶を望んでいないのに、中絶をしたというケースに対する罰は、堕胎罪を廃止するとしても、必要ではないか、という意見もあります。
 堕胎罪をなくして、どのような法律が必要かというテーマについては、「からだと性の法律をつくる女の会」が、法律づくりをおこなっています。




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