| 「少子化社会対策基本法案」の修正案について、6月11日に審議されると聞きました。しかしその修正内容は、この法案がもっている問題点を解消するどころか、かえって問題を悪化させかねない危険をはらんでいます。 そこで修正案について、以下の2点についてご質問します。
 
 
 1、「もとより結婚や出産は個人の決定に基づくものである。」と句点で言い切らないのは、なぜですか。「ではあるが、」と続ける理由をおきかせください。
 
 修正案は、前文9行目、「こうした事態に直面して、」の前に「もとより結婚や出産は個人の決定に基づくものではあるが、」を挿入するとしています。
 これは、審議の中で「産む、産まないに関する女性の自己決定権が明記されておらず、選択の自由が脅かされる危険がある」と指摘されたことを意識したものと思われます。
 
 しかし、この修正案では、女性の自己決定を明記したことにはなりません。
 なぜなら、「もとより結婚や出産は個人の決定に基づくものである。」と書くのではなく、「ではあるが、・・・」という逆接で、あとの文章につながっているからです。
 修正案によると、次のようになります。
 
 「もとより結婚や出産は個人の決定に基づくものではあるが、こうした事態に直面して、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、次代の社会を担う子どもを安心して生み育てることができる環境を整備し、子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち、子どもを生み育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかけることが、今、我らに、強く求められている。」
 つまり、「ではあるが、」と逆接でつながっているということは、修正案で挿入する文章(下線部)と、そのあとにくる文章が相反することを意味すると考えるのが一般的です。少なくとも、前半の文(下線部)より、後半の文のほうが重要だという印象を読むものに与えます。
 したがって、「個人の決定よりも少子化に歯止めをかけることが優先する」と解釈することも可能になってしまいます。
 こうした解釈をされないようにするためには、
 「もとより結婚や出産は個人の決定に基づくものである。」
 と言い切ることが絶対に必要です。
 あるいは、どうしても一文にしなければいけないのなら、「必要であり、」と順接でつなげるべきでしょう。
 
 順接にせずに「ではあるが、」と続けたことこそが、この前文、ひいては法案の内容が「個人の決定にもとづく」という精神と相反するものであること、「個人の自己決定よりも、少子化への歯止めを優先する」ことを、如実に示しています。
 
 2、少子化社会を改善したいのならば、なぜ「生み育てる男女」と明記しないのですか?
 
 もうひとつの修正は、「生み育てる」のところに「生み、育てる」と読点を入れることです。これも、内閣委員会での審議から考えると、「生み育てる者」とすると、多くの人は「生み育てる者=女性」と解釈するので、「生み育てる男女」と修正すべきではないか、という意見から出てきた修正案と思われます。
 
 しかし、「生み、育てる者」と修正して、男性も含まれると一般的に解釈できるとは、現状では、残念ながら思えません(そう解釈される社会ならば、これだけの出生率低下にはならないでしょう)。
 
 もし本当に少子化を改善したいと考えるなら、少子化の要因のひとつである、男性が育児にかかわれない現状を変えるためにも、そして母親ばかりに育児責任がかかり、それによって育児不安が強まって子育てに夢がもてないという現実を変えるためにも、「生み、育てる男女」とすべきではないでしょうか。
 
 上記2点の修正案に対する疑問についての、真摯な回答を求めます。
 
 これらの疑問点が解消され、さらに必要な修正が行われて、この法案の問題点が根本的に解消されないかぎり、たとえ付帯決議がつけられたとしても、「少子化社会対策基本法案」そのものを廃案にするべきだと私たちは考えます。
 
 2003年6月5日SOSHIREN女(わたし)のからだから
 からだと性の法律をつくる女の会
 
 
 
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