72年の「優生保護法」改悪とは ■1972年の優生保護法改悪案改悪は3点ありました。人工妊娠中絶の要件について2つと、優生保護相談所の業務 について1つです。
■1972年改悪案上程までの流れ1959年頃から、中絶規制を求める宗教団体の動きが活発化しました。61年には優生保護法改正請願書が厚生大臣に提出されました。優生保護法改廃期成同盟(67年)、優生保護法議員懇談会(68年)も発足して、中絶の規制を求めました。一方、優生政策を強める動きも続いていました。1963年、欧米と日本でサリドマイド禍発生。その後、WHOが予防医学の観点から先天異常に着目、専門家会議を開くようになり、日本でも関心が高まったのです。1970年に日本医師会が「優生保護対策委員会」を設置、先天異常の発生予防を提案しました。同じ年、政府は「心身障害者対策基本法」を成立させるなど、障害者福祉を進める方針を打ち出していましたが、そのことから逆に「福祉にかかるコストを削減するため、障害の発生を予防すべき」という声があるようになったのです。71年の「厚生白書」に“遺伝による先天異常を防ごう” という一節が設けられたり、厚生省が「心身障害研究事業」を発足させるという動きもありのした。 1970年4月〜71年5月にかけて、衆議院社会労働委員会で「優生保護法の一部改正」請願がたびたび議題になりました。 これらの動きがまとまって形になったのが、1972年〜74年の優生保護法改悪 案です。 ■1972年〜74年の優生保護法改悪*1972年5月26日 第68回国会に 政府提案で「優生保護法の一部改正案」が上程された。提案理由説明がされただけで審議はなく、第70回臨時国会で審議未了・廃案となった。 *1973年 5月11日 内閣が同じ案の再上程を決定 同日夕方、第71回特別国会に上程された。 7月 6日 衆議院の社会労働委員会で提案理由説明 9月24日 改悪案を、次の国会でも継続審議することが決定 *1974年 5月16日 第72回国会 衆議院の社会労働委員会で改悪案の審議に入る。「胎児条項」を削除して、衆議院で採択された。その後参議院では審議未了・廃案となった。 |