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一緒に考えてください!
「障害者差別禁止法 要綱案」その2


 SOSHIRENニュース216号(03年11月11日発行)で「障害者差別禁止法 要綱案」について伝えました。これはその続報です。
 「障害者政策研 障害者差別禁止法作業チーム」が提案している「障害者差別禁止法 要綱案」の第二章の9「出生」について、ソシレンは女の立場がら再検討を求め、03年10月、作業チーム宛てに「対案」を送りました。作業チームは、この秋「要綱案」全体の見直しを行い、【要綱案−−第2次案】を作成。03年12月13日と14日に東京で開かれた第9回障害者政策研究全国集会で、発表されました。

 第二章の9「出生」は、見直し前(第1次案)と次のように変わっています。
  • 1の(2)の「胎児」という言葉が「人」に置きかえられた
  • 2の(2)の「胎児に対して」が削除され、「選択的中絶をしてはならない」が加筆された
  • 3 配慮義務に、「情報を提供し」が加筆された
 ソシレン「対案」の「配慮義務」と「補足説明」に書いたいくつかの点は、他の項目に反映するということを聞いています。【補足説明】も変更されていて、これはソシレンの意見に対する返答とも読めます。
 しかし、ソシレンの意見が理解され見直しに反映されたとは、残念ながら思えません。「要綱案」はこれで完成ではなく、まだ見直しを続けていくとのこと。ソシレンは作業チームにまた意見を送りたいと思っています。これを読んだ皆さんは、どう考えますか? 感想や意見を、出してください。
(米津)
 考える材料として次頁に、要綱案の第1次案と第2次案対象表を、また、ソシレンの「対案」とこれまでの経緯を書いたニュース216号の記事はこちらで、「要綱案」全体は次のアドレスで読めます。
http://members.at.infoseek.co.jp/dpi_advocacy/


■障害者差別禁止法要綱案【第U章9】障害をもつ人への差別禁止と権利に関する基本事項

【第1次案と第2次案の対照表】
(第1次案 2002.11.27現在) (第2次案 2003.12月現在)
第二章 9 出生

1 出生に関する権利

(1)障害をもつ人は、出生において差別を受けない権利を有する。
(2)妊娠、出産に際し、いかなる障害をもつ胎児も生きる権利を有する。

2 出生に関する差別禁止
(1)すべての人は、妊娠に際し、障害を排除するための治療・検査を強制されてはならない。
(2)すべての人は、胎児に対して、障害を理由とした中絶をしてはならない。

3 配慮義務
 国、地方公共団体は、障害をもつ人の出生にあたり、その親に対して、妊娠、出産、子育てに関する必要な援助に関する施策を実施しなければならない。

[補足説明]
 本事項については、障害の有無によって命が価値づけられることを否定することが、基本的な考え方です。「産む産まないは女性が選択する」という主張を否定するものではありません。産む産まないを、それぞれの個人が自己決定することは保障されねばなりませんが、それは、男女の産み分けや、障害をもつ胎児の排除を自己決定することとは、異なります。
 産むと決定することが、本人及び親への不利益や非難につながってはならないし、生きている障害をもつ人への差別につながる論理が生まれてはなりません。
 障害は、その存在自体が問題ではありません。障害をもつことによって生じる生活上の困難さが問題なのです。人生の出発点を、障害を理由として、一方的に閉ざされることに対して、強く異をとなえます。

(第1次案はここで終わり)
第二章 9 出生

1 出生に関する権利

(1)障害をもつ人は、出生において差別を受けない権利を有する。
(2) 妊娠、出産に際し、いかなる障害をもつも生きる権利を有する。

2 出生に関する差別禁止
(1)すべての人は、妊娠に際し、障害を排除するための治療・検査を強制されてはならない。
(2)すべての人は、障害を理由とした選択的中絶をしてはならない。

3 配慮義務
 国、地方公共団体は、障害をもつ人の出生にあたり、その親に対して、妊娠、出産、子育てに関する情報を提供し、必要な援助に関する施策を実施しなければならない。

[補足説明]
 本事項については、障害の有無によって命が価値づけられることを否定することが、基本的な考え方です。すべての人は、障害を理由とした選択的中絶をしてはならないと考えます。
 ここで禁止されるのは、胎児に障害があることが明らかになった後に行う「障害を理由とする選択的中絶」です。もちろん、障害を理由としたのか、その他の理由だったのかの判断は、個別的事実関係の認定によるものですが、少なくとも障害を理由としない中絶は、結果的にその胎児に障害があった場合でも、本事項の範囲外ということになります。
 もう少し正確に表現すると、障害のあるなしではなく、障害を理由とするものか、そうでないかということです。つまり本事項では、出生に際して、「五体満足」かどうかに第一の関心が注がれる一般的な根深い現実に対して、なにが障害を理由とする差別に当たるのかの判断基準を示すことが目的です。障害当事者が思う差別と、そうでない人が思う差別との間には、大きな隔たりがあります。一般の無知、無理解、偏見の中で、一般社会の通念、常識、良心、といったものに、差別に当たるのか、差別に当たらないのかの判断を委ねてしまったら、差別は永遠になくなりません。だからこそ、なにが障害を理由とする差別に当たるのか、当たらないのかの物差しを国民的合意としての法律で示す必要があると考えます。
 また、本事項においては、罰則に関してなんら言及しておりません。決して罰則をつけて強制することが妥当であるという考え方にもたちません。何が差別に当たるのかの物差しを提示すること。そうした判断規範の提示がもっとも重要な課題であると考えています。

 したがって、本事項は、「産む産まないは女性が選択する」という主張を否定するものではありません。産む産まないを個人が自己決定することは保障されねばなりませんが、それは、男女の産み分けや、障害をもつ胎児の排除を自己決定することとは、異なります。
 産むと決定することが、産まれてくる本人及び親への不利益や非難につながってはならないし、生きている障害をもつ人への差別につながる論理が生まれてはなりません。
 障害は、その存在自体が問題ではありません。障害をもつことによって生じる生活上の困難さが問題なのです。人生の出発点を、障害を理由として、一方的に閉ざされることに対して、強く異をとなえます。
(第2次案はここで終わり)